未解読の暗号「線文字A」とは?クレタ島で発見された「ファイストスの円盤」にはいったい何が書かれていたのか?

2019/09/28

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1908年7月3日
ギリシアのクレタ島で厚さ2.1cm、直径16cmの粘土製の円盤が見つかった。
円盤には文字が螺旋状に刻印されているのだが、内容は未だ解明されておらず、何に使ったものなのかもわかっていない。

円盤は「ファイストスの円盤」と名付けられ、いまだに未解読のままである。
はたしてこの円盤には、一体どんな謎が隠されているのか??


「ファイストスの円盤」が発見される

▲ファイストスの円盤

1908年7月3日、ギリシアのクレタ島にあるファイストス宮殿(もしくは神殿)の内部から、謎の一枚の石板が発見された。

▲ファイストス宮殿

「ファイストスの宮殿」は、有名なクノッソス宮殿と同様に、紀元前1900年頃に最初の「旧宮殿」が造られたと言われている。
おおよそ300年間ほど使われた旧宮殿の建物は、火災、又は地震で3回部分崩壊をしていることが分かっており、その度に修復と再建を繰り返したが、最終的には紀元前1600年頃に「新宮殿」が造営された。
宮殿が火災によって被害を受けた際に石盤も焼けたのか、石盤は焼き固められた状態で見つかっている。

クレタ島には平野が少ないため、神殿の周辺には最大の農耕平野メッサラ があり、このファイストスの神殿は、その平野の農産物の収穫を管理していたといわれている。


       ▲ルイジ・ベルニエル

このファイストス宮殿から発見された『ファイストスの円盤』は、イタリア人ルイジ・ペルニエルによって発見された。

円盤に刻印されている文字は全45種。


未解読の「線文字A」と「線文字B」



ファイストスの円盤は、「線文字A」で書かれた粘土版が貯蔵された部屋で、水平に置かれた状態で発見された。

「線文字A」とは、アルファベットが使用される以前,紀元前2千年紀の青銅器時代のギリシア―より正確には,クレタ島を中心とするエーゲ世界―で行われていた「ミノア文字」と総称される文字の一形態である。

これらの文字の発見者であり,その研究に初めて着手したアーサー・エヴァンズ(Arthur J. Evans, 1851-1941)によって「線文字A(Linear A),ミノア線文字A」と命名された。
これと同系の文字として,ほかに,線文字B(ミノア線文字B),クレタ聖刻文字(またはミノア象形文字),キュプロス・ミノア文字などがある。




このイギリス人の考古学者アーサー・エヴァンズの分類に従って、「ファイストスの円盤」は、上になっていた面をA、下になっていた面をBと呼ばれている。
エヴァンズは、その粘土板に使われている文字の系統が2つに分類できる ことを発見し、字の形などからみて古い方を線文字Aと名付けた。そして線文字Aから発展した字形を線文字Bと 呼んだ。

それぞれの文字が垂直線によって数個ずつに区切られている点はファイストスの円盤に特徴的である。A面には31区画(122文字)、B面には30区画(119文字)ある。



エーゲ海地方ではすでに紀元前2000年ごろから文字が使われていた。
しかしながら、粘土の塊に棒で跡を付けたものがほとんどであった。一方、ファイストスの円盤にある各文字は正確に同じ形状、寸法であることから何らかの印章のようなものを粘土の表面に押し当てて記録したと考えられている。
エヴァンズは絵の内容に従って文字に番号を付けた。文字1から文字6までは人の顔、もしくは全身像に見えるもの、文字29から文字34はネコ、ウシ、鳥、魚など何らかの動物に見える。

両面合わせて文字数は241文字あり、一般的な印刷物とはみなされていないもののこのファイストスの円盤は「世界最古の印刷物」と呼ばれている。

語学の天才と言語学者が成し遂げた「線文字Bの解読」



▲線文字B

1939年にギリシャ本土で同文字が記された粘土板が大量に発掘され、また、名詞の単・複数形等とおぼしき語尾変化のパターンの発見等、地道な研究成果が蓄積されていく。そして1953年、イギリスの建築家マイケル・ヴェントリスと言語学者ジョン・チャドウィックとして解読された。

▲マイケル・ヴェントリス
当時はエーゲ考古学の大家であったエヴァンスが、クレタやミケーネの文明は非ギリシア人の文明であり、彼らの文字もギリシア語とは関係がないと言う説が通説となっていたが、ヴェントリスは研究をするめるうちに線文字Bで書かれているのは古いギリシア語ではないかと気がついたたのである。

線文字Bとして用いられている記号の数は87ほどであるが、これは表意文字と音節記号が混合している物であると考えられた。アルファベットにしては多すぎるが漢字のような表意文字としては少なすぎるためである。
 またある記号が音節記号として用いられることもあれば表意文字として用いられることもある。そのような文字である線文字Bだが、ヴェントリスはこれを「格子」にしていった。「格子」を作るという方法自体はヴェントリス以前にコーバーが行っていたが、ヴェントリスはより多くの史料を基に格子を作り、解読を進めていくことになる。

▲線文字Bの記された石板

ヴェントリスは文書の最後に出てくる「総計」を示す形に2つの物があることから、語尾変化が ある言語であり、さらに男女の性別があると論じた。そして語末の母音で性の区別がされるならば母音は異な るが子音は同じであると考え、このような対になる語を多数分析して格子を作り上げたのである。そしてかな りの数の記号を格子の中に位置づけられるようになると、そこから推測して音価を当てはめ解読することが可 能となるというわけである。

▲線文字B


そして文書の解読を進めていく内に、当初は線文字Bはエトルリア語と関連が あると考え続けていたヴェントリスの中である考えが浮かび、やがて結論としてまとまっていくことになる。 すなわち、この線文字Bを用いて書かれている言葉はギリシア語であるという、今となっては通説になっているが、当時有力だったエヴァンスはじめとする研究者間の学説とは真っ向から反する考えであった。

粘土板の中から古代ギリシア語の単語と類似した言葉をいくつも見つけ出したヴェントリスであったが、彼自身 は建築家であり、古代ギリシア言語の専門家ではなかった。格子を作成して音価を得て、それを当てはめていくと、 古代ギリシア語の単語は次々に現れたが、それらは綴りは不完全な物であり、なかには語形としてはホメロスの 叙事詩に現れる物より古いもので、みなれない形の言葉が出てきたためである。そして、実際にギリシア語で あるのかどうかを確かめるためには、様々な規則を打ち立てる必要があった。

▲ジョン・チャドウィック

ヴェントリスはあくまで素人研究家だったが、彼のラジオ出演をきっかけに、ヴェントリスの仕事について精査してみようという人物が現れた。それが、ケンブリッジ大学のギリシャ語研究者、ジョン・チャドウィック(写真上)だった。当初、彼は素人研究と退けるが、質問に備え、論証を調べ始める。ヴェントリスには古代ギリシャ語の知識が欠けており、完全な解読は望めなかった。しかし、チャドウィックはそれらに対する深い知識を持っていたことで、さらに線文字Bの研究がすすんでいくのである。


▲古代ギリシア語
1952年になりチャドウィック(彼は日本語にも通じ、仮名文字を研究していたと言われている)の協力を得て研究を進めたところ、ヴェントリスは線文字Bがギリシア語として解読できることをついに証明し、1953年に学会で発表し、大きな反響を呼んだ。
ヴェントリスはその研究を完成することなく、1956年わずか34歳で交通事故で死んだ。現在では線文字Bの解読は大いに進み、エーゲ文明期の社会と文化についてシュリーマンやエヴァンスの見解は書き改められている。

マイケル・ヴェントリスの謎の死


▲線文字Bの石板を見つめるマイケル・ヴェントリス

1936年、14歳のイギリス人ヴェントリス(写真上)は、クレタ文明の発見者エヴァンスの講演を聴き、クレタの線文字に興味を持ったと言われている。
ヴェントリスはプロの言語学者ではなかったけれど、子どものころから語学の天才であり、就学可能になってすぐにフランス語とドイツ語を習得、6歳にはポーランド語を独習し、7歳でドイツ語書籍からヒエログリフについて学ぶほどだったと言われている。

▲マイケル・ヴェントリス

大学に進学しなかったがのちに建築家となった彼は、第2次大戦後、仕事の傍ら線文字の解読に取り組んだ。仕事の余暇は線文字Bの解読に取り組んでいたといわれている。
後にジョン・チャドウィックと組んで本格的にギリシア語として解読することには、二人はお互いへのメモを線文字Bで送り合うほどの仲になっていたという。

言語学者でもなく、大学にも進学していない彼が、ヨーロッパ最古の文字である線文字Bの解読を成し遂げたことは20世紀における偉業の1つと数えられている。

>しかし、マイケル・ヴェントリスはわずか34歳という若さで交通事故死を遂げた。実はこの死は謎に包まれている。1956年9月6日の深夜、自宅に帰る途中運転していた車が、駐車中のトラックに衝突し、ヴェントリスは死亡した。
それは当時、彼の母親がそうだったように、「自殺であった」と信じられていた。

ヴェントリスの死は事故死とも、又は仕事上の悩みによる自殺とも言われているが、真実は定かではない。

線文字Aが未解読の3つの理由


▲線文字A

線文字Aはいまだ未解読のままだが、実は線文字Aは、クレタ各所の広い範囲に渡って出土しているため、クレタの共通文字とされている。

線文字Aがいまだに未解読のままである理由の1つが、まず同じ文字が記された粘土版が他に見つからないことであると言われている。
印章を用いて制作したのであれば、他にも同印章を用いた粘土板が存在する可能性はあるが、この円盤しか見つかっていない。このことから、ファイストスの円盤はクレタ島に起源があるのではなく、なんらかの輸入品であるとも考えられる。発見時に周囲に線文字Aが記された粘土版が見つかっているが、ファイストスの円盤との関係は分かっておらず、両者の文字には類似性もない。

▲線文字A

次の理由としてはこの線文字Aは、商業的な記録ではないこと、つまり定型文ではないと考えられていることである。わざわざ専用の印章を用いたということは、他に例のない文章を記録したと考えられ、そうなると解読に際しては不利となる。

3番目の理由は、円盤に記された文字の数がギリシャ語の音節の数と合わないことである。
線文字Bは、古代ギリシア語によって解読に成功したが、文字の種類が60以上であれば、ギリシャ語が記されている確率が高いが、線文字Aの円盤の文字は45種類しかない。

このように「線文字A」と「線文字B」の2つには共通する文字が出てくるものの「線文字A」の解読には至っていない。「文字が刻まれた粘土板自体の品質の悪さ」「数の少なさ」「一定の法則が成り立っていない」といった理由からなかなか解読が進まないのだ。

「ファイストスの円盤」未解読の線文字Aが解読される!?


▲発見された副葬品を報じるCNNニュース

2015年10月、ヨーロッパ文明の起源を探る上で重要な発見があった。

ギリシア南西部のピュロスで、約3500年前の青銅器時代に葬られたと見られる王族の墳墓が発掘された。副葬品の数1,400点を超えるほどこの墳墓から出土されたのだ。出土されたものは、青銅器時代の王族とみられる人物1体の骨に加え、女神や動植物をかたどった金の指輪やネックレス、杯、複雑な模様が彫られたものなど。

出土品にはミノア文明の様式が取り入れられており、“ヨーロッパ最古の文明”“世界最初の海洋交易社会”とされている同文明を紐解く、大きな発見になりうると考古学会に衝撃を与えた。




いままで文字が刻まれた粘土板自体の品質の悪さも、線文字Aの解読を妨げる原因の1つとされていた。しかし、今回墳墓や副葬品が見つかったことで、線文字Aが紐解かれると共に、ミノア文明の謎も解明されることが可能になるかもしれない、と言われているのだ。

近くうちに線文字Aとファイストスの円盤が解読される日も近いのかもしれない。




参照:線文字Bの解読マイケル・ヴェントリス副葬品の発見マイケル・ヴェントリスファイストスの円盤

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