JFKもリンカーンも呪いの犠牲者?インディアン最高の英雄テカムセが、大統領に呪いをかけた日~「テカムセの呪い」とは

2014/03/22

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10月5日
北アメリカ大陸において、ヨーロッパ人たちと最後まで戦い続けたショーニー族の長テカムセ。
彼は圧倒的な存在感を放ち、その言葉には人々を熱くする不思議な力があったと言われている。
そのテカムセが部族の領土を白人に奪われ、1813年10月5日、オンタリオ州の「テムズの戦い」で亡くなったとき、歴代のアメリカ大統領にある「呪い」がかけられたという。

果たしてその、「テカムセの呪い」とは?

インディアン最高の英雄「テカムセ」とは


テカムセは、現在でも伝説のインディアンであり、アメリカインディアンのショーニー族の戦士・酋長で、白人への植民地抵抗運動のシンボル的人物として知られる。

テカムセは1768年、現在のオハイオ州に位置する先住民族の村にショーニー族の酋長の息子として生まれた。
しかし、父と二人の兄弟はそれぞれアメリカ独立戦争などの戦いで失ったという。
こうした経験でテカムセは、一部族の反抗では、白人に抗し得ないという主張を唱え始めたという。
15歳でショーニー族の軍に入り、その存在感と指導力でたちまち長となったテカムセは、ほかの部族に団結を呼びかけるほどとなった。

テカムセの伝説


「朝起きたら、
太陽の光と、おまえの命と、おまえの力とに、
感謝することだ。
どうして感謝するのか、その理由がわからないとしたら、
それは、おまえ自身の中に、罪がとぐろを巻いている証拠だ。」

                          ~ショーニー族の首長、テクムセ(1768-1813)の言葉

                                 
彼はインディアン最高の英雄の一人として上げられ、卓越した勇気・指導力・慈愛を兼ね備えた人物として知られていた。
テカムセの描いた大きな夢は、諸部族が連合戦線をつくり、白人に抵抗して土地を守るということだった。
彼は勇敢な戦士であると同時に、すぐれた演説家でもあり、団結と抵抗を説く彼に、多くの若者が心を動かされ、彼を支持したという。

また、このテカムセを助けた弟は、「開いた扉」を意味する「テンスクワタワ」という名を自分につけ、「ショーニーの予言者」とも呼ばれ不思議な力を持っていたという。


このインディアンたちの団結に白人たちは驚き、のちに大統領になったウィリアム・ヘンリー・ハリソン将軍は、弟テンスクワタワに、奇跡をおこして真の予言者であることを証明せよと迫った。

そこで、1806年6月16日11時32分に、皆既日食がおこるだろうと予言者テンスクワタワが語った。テンスクワタワは太陽に「指示して」、そのとおり、11時32分に日食がおこったという。
インディアンはもとより、多くの白人たちも予言の正確さに仰天した。それからというもの、テクムセ、テンスクワタワ兄弟の勢威はいっそう強大なものになっていったという。

また、こうして次第にほかの部族たちも結束しはじめたが、中には白人の要求を受け入れる部族もあった。彼らの選択に怒ったテカムセはこう言い放ったという。
「この地面を踏み鳴らし、大地を揺さぶってやる」。その数日後、白人の要求を飲んだ部族が住むミシシッピ渓谷に大きな地震が発生したと言われる。

最後の戦いと呪いの始まり



(ワシントン連邦議事堂内にある「テクムセの死」のレリーフ)

1813年、ショーニー族と連合部族軍は「テムズの戦い」で合衆国軍に敗れた。
その後まもなく、テカムセはリチャード・メンター・ジョンソン(後の副大統領)に殺され、その死によって「テカムセの戦争」と白人が呼ぶインディアン戦争は終わったとされる。

このとき、「テカムセの呪い」がアメリカ合衆国大統領にかけられたとされる。
この呪いはテカムセ 、あるいは予言者であった弟テンスクワタワによるものとされ、また一説によるとテカムセが死んだとき彼の母親が呪いをかけたともされている。

その内容は、「20年ごとに、選ばれるアメリカ合衆国大統領の死を呪う」というものだった。


(1960年選出・ジョン・F・ケネディ)

この呪いはアメリカでは非常に有名で、「テカムセの呪い」のほかにも「20年の呪い」「ゼロの呪い」、「大統領の呪い」などと呼ばれ、恐れられている。
実際に20年ごとに選ばれた(1840年・1860年・1880年~)歴代の大統領たちは
みななぜか「在職中に」不慮の死をとげているのだ。


呪いの犠牲者?~歴代アメリカ合衆国大統領たち

(1860年選出・エイブラハム・リンカーン)


この「テカムセの呪い」の犠牲者とされるのは、アメリカ合衆国大統領のなかでも、1840年から1960年までの間に20で割り切れる年に選出された大統領たちだ。

彼らは皆、合衆国大統領「在職中に」死去したとされる。



1840年 - ウィリアム・H・ハリソン、1841年4月4日に肺炎で死去。

1860年 - エイブラハム・リンカーン、1865年4月14日に暗殺された。

1880年 - ジェームズ・ガーフィールド、1881年7月2日に暗殺された。

1900年 - ウィリアム・マッキンリー、1901年9月14日に暗殺された。

1920年 - ウオレン・G・ハーディング、1923年8月2日に心臓発作で死去。

1940年 - フランクリン・ルーズベルト、1945年4月12日に脳溢血で死去。

1960年 - ジョン・F・ケネディ 、1963年11月22日に暗殺された。

1980年 - ロナルド・レーガン、1981年3月30日に暗殺未遂、任期満了、退任15年後の2004年死去。

2000年 - ジョージ・W・ブッシュ、いくつか事故があったが任期満了、存命中。

(ウィリアム・H・ハリソン)

20で割り切れる年以外に選出された大統領のなかで、在職中に亡くなったのはほかに一人だけという確率をみても、これはとても高い確率で在職中になくなっているといえるだろう。

また「呪いの始まり」とされ、実際にテカムセが死んだ戦いの総司令官だった第9代大統領ウィリアム・H・ハリソン(写真・下)は、在職後、「わずか1ヶ月」で肺炎で死去している。
このウィリアム・H・ハリソンが選出される前(1800年・1820年=20で割り切れる年)に選出された大統領たちはそれぞれ任期満了して死去していることから考えても、まるで本当にテカムセが呪いをかけたとしか思えないような、不思議な符合であるといえる。

はたして呪いは終わったのか?


(ロナルド・レーガン)

なお、1980年選出のロナルド・レーガン、さらに2000年選出のジョージ・W・ブッシュはどちらも任期中には亡くなっていないため、「テカムセの呪い」による大統領の不慮の死は、単なる偶然であるという説も見られる。

1980年選出のロナルド・レーガン(写真・上)は1981年3月30日に暗殺未遂に遭いながらも、8年の任期を全うした。しかし、その後1994年にアルツハイマー症と診断され、彼が暗殺事件で死ななかったため呪いがレーガンを苦しませたと信じる人たちもいる。

(ジョージ・W・ブッシュ)

また、2000年選出のジョージ・W・ブッシュ(写真)も2002年にプレッツェルを食べている最中に失神、こん倒したり、2005年5月10日にグルジアで演説中に手投げ弾を投げ込まれたが不発に終わったという事件が起きているが、現在も存命中である。

いくつかのキリスト教団体は「呪い」を真剣に考え、1980年のレーガン大統領および2000年のブッシュ大統領が災厄から守られるように祈願したという。1920年以来、彼らはずっと祈願を行っていたとされるが、その団体のうちの一つ「アメリカの仲裁者」は1980年の「戦争祈願」でテカムセの呪いを破ったと信じているとされる。
はたして2020年選出の合衆国大統領は、任期を全うし、呪いは完全に終わった(もしくはなかった?)と証明できるのだろうか?




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