少女たちによる恐るべき魔女狩りとは?~アメリカ史上最後で最悪のセーラム魔女裁判が始まった日 | 謎カレンダー

少女たちによる恐るべき魔女狩りとは?~アメリカ史上最後で最悪のセーラム魔女裁判が始まった日

3月1日
1691年の冬のある夜、アメリカのマサチューセッツ州のセーラムの牧師の家に集まった子ども達は、タイテューバという名の西インド諸島からきた奴隷の女性を囲んで、未来を占う術を教えてもらっていた。
そのうち、子ども達はひきつけを起こし、体を痙攣させて異様な声をあげ始め、子どもたちは次々と村人たちが「魔女だ」と言い始めた。
これがアメリカで最後の、しかし最悪の魔女裁判 「セーラム魔女裁判」の始まりである。


■少女たちの密かな遊び




1691年冬、植民地の長い夜のなぐさみに、牧師の家の黒人の使用人ティチューバは牧師の娘エリザベスとその従姉妹のアビゲイルに妖術を披露した。エリザベスは9歳になるおとなしい子だったが、アビゲイルはそれより二つ年上の従姉で、悪戯好きのずるい娘だったという。
当時男の子は比較的自由に外で遊べるのに対し、女の子は自由に遊びに出ることが許されていなかった


やがて村じゅうから娘たちがこの台所に集まってきて、未来を占ってもらうようになった。
その中には、近くに住むメアリ・ウォルコット(16)、スザンナ・シェルドン(18)、神経質な12歳のアン・パトナム、それからパトナム家の女中で、盗み聞きの好きなマーシー・ルイス(19)などがいた。

彼女たちは次々とほかの少女たちをひきいれ、最終的には10人ほどになったという。
彼らはみな20歳以下だった。

そのうち彼女たちがおかしな行動をし始めるようになる。
まず、年齢も幼くおとなしいエリザベス・パリスがおかしくなった。
彼女は恍惚状態に陥って、長い間宙を見つめていたかと思うと、急に悲鳴を上げて倒れるのだった。アビゲイルも同様だったが、さらに喉が詰まったようなゼイゼイ声を出すのだった。
家の者が回復を願って神に祈ると、アビゲイルは耳を押さえ、エリザベスは悲鳴を上げて聖書を投げ飛ばすのだった。村医者のグリッグスも首をかしげて、「悪魔に憑かれた」という始末だった。


■次々に名前をあげられていく村人たち



牧師は黒人の使用人ティチューバを疑い、彼女を拷問し、ブードゥーの妖術を使ったことを『自白』させた。牧師が娘たちを詰問したところ、娘たちは3人の女性の名前を上げた。
彼女たちは年齢不詳の浮浪者でどこか得体の知れない女だったり、もう1年以上も教会に現れていなかった女だったりと、村でも弱い立場の女性たちだった。

翌日、魔女の疑いのあるものを裁判にかけるために判事が2人やってくる。

集会所が法廷に早変わりして、最前列に少女たちが座らされ、3人の尋問が始まった。
女性たちの尋問にはエリザベス・パリスをはじめ、少女たちも参加していた。
女性たちは無実を主張したが、少女たちは突然その場で発作を起こした。


また供述のなかで「そのほかの一人」として名指しされたマーサ・コーリーという女性が今度は裁判にかけられることになった。
マーサ・コーリーは教会内でも評判がよく、その時代としてはかなりの教育を身につけた尊敬にあたいする初老の婦人であったが、マーサが自分の無実を証明しようと少女の一人であるアン・パトナムとの対面を求めて、彼女の部屋に入ってゆくと、彼女は急に発作を起こし、両親は彼女の生命に危険があると言って対面を拒んだ。

その後、魔女の容疑でマーサ・コーリーに逮捕状が出され、正式裁判に送られることになった。
こうして、魔女狩りが大々的に始まることになったのである。

少女たちが、自分を苦しめる分身霊の名を叫ぶと、その人は逮捕された。その人が裁判で無実を訴えると、少女たちは発作を起こし、これを証拠に犯罪が確定するという型を取った。

■崩壊する村


6月までに、少女たちが告発した者の数は男女含めて100人に上り、牢獄もパンクしそうになったので、次々に正規の裁判にかけることになった。新しい判事が着任するとともに魔女裁判を行うための「特別法廷」を開かれることなった。
裁判長には、冷酷無残をもって知られる60歳のウィリアム・ストウトンが任命された。

6月2日、第一回の法廷がセーレムで開かれ、最初の被告は、セーレム港の居酒屋の女将ブリジェット・ビショップだった。
彼女は、商売柄派手な身なりをしているというので、ピューリタンの隣人たちからは嫌われていた。数人が彼女の分身霊によって眠りを妨げられたと証言したので、6月10日、「縛り首の丘」の大きなオークの木の枝に吊された。




6月29日、第二回目の法廷が開かれ、今度はレベッカ・ナースが、ほかの4人の女性といっしょに裁かれた。

ナース夫妻は常に信仰心あつく勤勉であり、自分たちの努力によって貧困から身を起こし、裕福な生活をかちとっていた。村では重要な役職に就き、人望もあった。とくにレベッカ・ナースは四男四女の愛する母であり、耳が聞こえず病弱な70歳を超えていた老婦人だった。

4人はすぐに有罪となったが、陪審員たちはレベッカ・ナースは無罪とした。すると裁判長のストウトンが烈火のごとく怒って再考を求めたため、陪審員は協議の結果有罪にした。

7月19日、あわれにもレベッカ・ナースは他の4人ともども絞首刑にされた。

この二度目の絞首刑に、残りの容疑者たちはパニック状態に陥った。

レベッカ・ナースが処刑されたとなると、だれも無事とは言えなかったからである。中には、魔女だと申し立てれば一命は助かると信じて、告白する者も出てきた。

■魔女裁判の終わり~騒動の収束



事態は最悪になっていくのに、少女たちはますますいろいろな人の名を口走り、はては判事の親族や州知事の妻の名まで出す始末となっていく。

しかし、町の有力者で魔女とされた人物の夫であるジャイルズ・コーリーという人物が嫌疑を否定したまま拷問死したこと、最も熱狂的に魔女裁判を推進してきたヘイル牧師の妻までが告発されるに至った事によって魔女裁判の流れが変わってきた。

さらに当時、フィリップス州知事はカナダ国境でインディアンと戦っていたが、留守中の出来事を知らされて判事を厳しく非難し、裁判を中止するよう命じた。
1693年5月フィップス州知事は、妖術で告訴された者全員の釈放し、また大赦を布告して亡命者たちが帰ってきても安全なようにした。こうしてあっけなく、騒動は収束に向かった。



この狂気の期間に、ほぼ200名が逮捕され、うち30名が死刑を宣告された。19名が絞首刑となり、1名が圧死し、2名が獄死した。

この事件の原因としては、児童虐待やピューリタン社会独特の抑圧による集団ヒステリー説、麦角中毒症による集団幻覚説などが唱えられている。
麦角中毒症とは、脳の血流が不足して精神異常、けいれん、意識不明、さらに死に至ることもある中毒症だ。若いセイラム魔女騒動は少女たちが麦角菌汚染されたライ麦を食べたことから始まったのではないかという説もある。

なお、裁判が終わった後の彼女たちの消息については何も記録が残っていない。
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